奈留島を訪れて

あれは冷える夏のエストニアだった。合唱団の引率でエストニアに同行していた時、視察のために同行してこられた方がいた。聞けば、長崎の五島の奈留島というところの高校の校長で、生徒数は30人もいないという。ゴゾ島に住む私としては、五島の詳しいことも分からかったが、島ということに親近感を覚え、校長先生の話を聞くうちに、行ってみたいと思うようになった。空港での別れ際には「行きます!」と、いつ実現可能かは分からないものの威勢よく返事をした。 今回は東京で所用があったので、東京から飛行機で向かうことにした。飛行機とはいえ、奈留島には船でしか辿り着けない。長崎から福江まで飛行機に乗って向かう予定だった。そう、「だった」のである。前夜に航空会社から連絡があり、その日の便は欠航するという。一瞬、思考も宙に浮いたままだったが、兎にも角にもその日にたどり着くにはどうすればいいかを考え始め、調べ始めた。ジェットフォイルで長崎港から福江に行こうと決めた。ということは念の為、羽田から長崎の便を早めようと、チェックインも済ませてあったのを変更して、朝8時過ぎに出発することに決めた。早く起きられるかだけが心配だったが、まあひとまず空港には間に合った。すっかり油断し切っていた私は、天候のことなどすっかり気にもとめていなかった。飛行機に乗り込む前に、念の為、運航状況と空席具合を確認しようと、船の運航会社のウェブサイトを開いた。そこに飛び込んできたのは、ばつ印。時化でジェットフォイルは朝の1便を除いて欠航とのことだった。この時ばかりは寝ぼけた鈍臭い頭にも衝撃が走った。「辿り着けるだろうか」。このことで頭がいっぱいで、代わりを探すことになかなか切り替えられなかった。そんなとき、校長先生からジェットフォイル欠航の連絡ももらい、その日、唯一の到達手段であるフェリーの時間を教えてもらった。この12時半ごろのフェリーで長崎港から福江までゆっくり行き、その後、1時間もしないくらいうちに福江で奈留島行きのフェリーに乗り換えるというものである。どこかでこの時間が狂えば、奈留島には到達できなくなるようなものだった。民宿の女将さんには、「なんとかたどり着きますが予定よりも遅くなります」と連絡した。後で聞くと、女将さんはその時、「今日は来られなくなりましたという連絡かと思った」ようだが、それも無理はない。ただ、私は諦めない。不便さの醍醐味かもしれないが、兎に角、運航しているということに感謝しつつ、船に乗り込んだ。 船は思ったよりも揺れなかった。幸か不幸か、ゴゾでの暮らしで培われた経験もあるのだろう。2月、3月の嵐のようななか、大層な揺籠のように揺られたり、海面を飛び跳ねた船に乗ったことに比べれば、「なるい」ものだった。修学旅行の団体もいたためか随分と賑やかだったが、船の中は快適で、4時間ばかしかけて福江に辿り着いた。この一連の出来事は島暮らしの宿命かもしれないが、私にとってはいつの間にか慣れたもので、まるでゴゾ暮らしとさほど変わらないもののように思えた。さてその後、奈留島行きの船に揺られて、ようやく午後6時過ぎに港に到着した。すっかり暗くなってしまったなか舷梯を渡ると、校長先生が、そこにいた。夏ぶりの再会だ。車に乗り込む前に、ターミナルのなかにある奈留高校の探究活動の展示を見せてもらった。猫の去勢や潮流発電、観光などについての展示で、「問い、その問いへの取り組み、結論」などがはっきりと書かれていて、思わず感心した。 校長先生の車に乗せていただき、暗くてやや狭い道を通り抜け、民宿にたどり着いた。民宿では、とても歓迎していただいた。とても真新しく、とても快適な宿だった。私としては、「やっとたどり着いた」という思いの方が強く、なんだかとても安心した。 翌朝、校長先生のお招きで、奈留高校の生徒さんとお話しする機会を頂いた。英語の先生との対話形式で、生徒さんからも質問をいただき、それらに応える形で進んでいった。ただ50分というのがあっという間に終わってしまった。 この後、江上天主堂やビーチロック、千畳敷など島の主な景勝地に連れていっていただいた。また、道中、島の様々な人と話す機会があり、奈留島についてより深くしるきっかけとなった。千畳敷に向かう手前では、虹がくっきりと海からかかっているのが見えた。二重にかかった虹だった。携帯電話を上着のポケットから取り出し、写真に収めたが、それはどこか無粋な気がして、あまりにも絵画的なこの光景をしっかりと目に焼き付けておくことにした。  島を回って雄大な時間軸のなかで自然が作り出す景色や島での生活を見聞きするに、なんとなくゴゾの生活に似ているという感覚があまりにも強くなっていった。ただ、かつて漁業で栄えたこの島では路線バスが廃止され、海上タクシーも閉業、生活インフラが段々と縮小されていっている。それは欧州でも経済成長をどんどん続けるマルタとは大きく異なる点だ(あまりにもマルタは短期間で急激に変化してしまって、今では居心地もなんだか悪いと思う)。島をぐるっと少ししか見ていないが、観光資源や産業創出の可能性を秘めていると思うのは気のせいだろうか。  島での暮らしは、自然との付き合い方あるいは感覚と人間の手の技術が培われると勝手に思っている。風向きや波の高さなどといったもの以外にも、生きるためには「作る」という行為が不可欠である。これらの感覚と技は、現代社会の都市空間では忘却あるいは麻痺したものを呼び醒ますことにつながるのではないだろうかと夢想する。「不便さの醍醐味」という言葉をかつての師匠から教えられ、なんとなくふわふわと理解していたが、島での暮らしはまさにそれであることを地に足をつけてわかったような気がする。私自身は農業地帯に囲まれて育ってきたため、自然との感覚は漁業の感覚とはまた少し異なるかもしれない。神宮さんを参るときに直感的に感じるあの木々との感覚に、ゴゾで海での感覚の一端を知り、奈留島でそれを再確認したようなものかもしれない。